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発掘情報

 


◎平成23年度

     上原2遺跡(町営林土地改良事業)

     上原3遺跡(町営林土地改良事業)

     中棚1遺跡(町営林土地改良事業)

◎平成24年度

     上原1遺跡(町営林土地改良事業)

         上原4遺跡(町営林土地改良事業)

      長野原城跡(町道長野原線)

◎平成25年度 

        林中原1遺跡(町営林土地改良事業)

        林中原2遺跡(町営林土地改良事業)

        嶋木1遺跡(町道長野原線)

        東貝瀬3遺跡(町道長野原線)

        尾坂遺跡(町道林長野原線)

        町遺跡(町道長野原向原線)

◎ 平成26年度

     嶋木1遺跡4次(町道長野原線)

     嶋木1遺跡5次(町道長野原線)

     町遺跡2次(教会教職舎)

 

 

 

遺跡名:上原2遺跡

 

所在地:群馬県吾妻郡長野原町大字林字上原124013

調査期間:平成23年5月20日〜6月30日、7月21日〜8月10日、9月28

調査原因:町営林土地改良事業


調査面積3,0262

主な時代:縄文・平安

検出された遺構

 縄文時代中期初頭 
     
竪穴状遺構:3軒

   焼土遺構:5基
   土21基(うち土壙墓3基)
   性格不明遺構:1基
 平安時代
   土坑(陥し穴):3基
 時期不明
   土坑53
   ピット(小穴):9基

 

調査概要


 上原2遺跡は、林地区の土地改良事業地内では一番北側に位置しています。吾妻川

によって形成された河岸段丘の最上位段丘面に立地し、遺跡の西側には現在は砂防水

路となっている押手沢が南に向かって流れていて、押手沢を挟んで西側には上原3遺

跡があります。


 今回発掘調査を行った場所は、遺跡範囲の南西部にあたると考えられます。調査区

の南半分と北半分の東側では、押手沢の氾濫によってできたものと考えられる沢跡が

確認されました。沢跡が埋まった後には、平安時代のものと考えられる陥し穴と、時

期不明の土坑が掘られたことが判明しました。


 調査区の北半分の西側は、南東方向に延びる微高地があり、その南端部から縄文時

代中期初頭(5,500年前)の土坑が多数見つかりました。それらの土坑のうち1基か

らは大珠(石の首飾りの一部)が、2基からは遺存状況の良い土器が出土しました。大

珠は副葬品、土器は埋納されたものと考えられることから、この3基の土坑はお墓

(
土壙墓)であったと考えられます。

調査区北西側の微高地南端部は、お墓が造られてからあまり時間が経過しないうち

に縄文時代中期の土器片・石器・自然石を多く含んだ土(遺物包含層)が溜まっていき

ました。この土が溜まっていく途中で竪穴状遺構や土坑が造られていたことが確認で

きました。また、溜まり終わった後には火を焚いた痕跡(焼土遺構)と土坑が造られて

いました。住居を造って定住せずに、簡単な建物を建てて、焚き火をするなどの活動

範囲となっていたと思われます。縄文土器の破片が多く出土していることから、近く

に集落跡があるものと考えられます。


 微高地の北側では遺物包含層の堆積はありませんでした。土坑が多数確認されまし

たが、土器などの遺物がなかったために時期が特定できませんでした。

 

上原2遺跡調査区全景

            上原2遺跡調査区全景(真上上空東から)

 

 

 1号竪穴状遺構遺物出土状況 1号竪穴状遺構遺物出土状況

 
 
 

 2号竪穴状遺構遺物出土状況 2号竪穴状遺構遺物出土状況

 
 
 
 
 2号焼土検出状況 2号焼土遺構検出状況
 
 
 
 
 42号土坑遺物出土状況 42号土坑遺物出土状況(深鉢)
 
 
 
 
 75号土坑遺物出土状況 75号土坑遺物出土状況(深鉢)
 
 
 
 
 55号土坑遺物出土状況 55号土坑遺物出土状況(大珠)
 
 
 
 
 
 

遺跡名:上原3遺跡

 

 

所在地:群馬県吾妻郡長野原町大字林字上原1261-117

 

 

調期間査:平成23年5月20日〜10月6日

 

 

調査原因:町営林土地改良事業

 

 

調査面積8,9552

 

 

主な時代:縄文・弥生・平安・中近世

 

 

検出された遺構

 

縄文時代前期末〜後期前葉

  土     坑:2基

弥生時代中期前半

  土     坑:2基

平安時代

 鍛冶工房跡:1軒

 竪穴住居跡11

 焼土遺構:6基

 土坑(陥し穴)29

 土坑11

中世

  竪 穴 状 遺 構:1基

近世以降

  墓壙:1基

  自然流路跡:5条

時期不明

 土坑126

 ピット(小穴)131基

 

 

 

 

調査概要


 
上原3遺跡は、押手沢砂防水路を挟んで上原2遺跡の西側に位置しています。上原

2遺跡と同様に林地区の土地改良事業地内では最も北側の高い場所にあります。


 調査地点は遺跡範囲の西側にあたり、押手沢砂防水路から約100m西側に離れてい

ます。調査区の東端・西端ではローム層と呼ばれる黄褐色土が確認されましたが、中

央ではローム層は確認されませんでした。このことから、調査区内の中央は谷状の低

い地形であったが埋まって平らになった場所と考えられます。


 発掘調査の結果、ここに平安時代の鍛冶工房と竪穴住居からなる集落があったこと

がわかりました。

 調査区を東・中央・西に分けると、1軒の竪穴住居が東側、1軒の竪穴状遺構(

)が西側にあり、その他の竪穴住居跡と鍛冶工房跡は中央部に集中していました。建

物を建てるときに制約があったのかもしれません。同時に建物を建てられないほど住

居間の距離が近いものがあるので、2世代以上にわたって集落が継続したものと考え

られます。


 鍛冶工房跡とした遺構は、製鉄や鍛冶を行う際に使用される送風管(羽口)や鍛冶

を行うと生成される鍛造剥片が出土し、材料の鉄を熱した炉跡が設置されていたこと

から判断しました。ここでは鉄から製品をつくる鍛錬鍛冶を行っていたと言えます

が、鉄素材そのものを作る精錬鍛冶を行っていたかどうかは今後の出土遺物の精査に

よって判断されます。


 竪穴住居跡と鍛冶工房跡からは、鍛冶関連遺物のほか、墨で文字などを書いた墨書

土器が多く出土しています。書かれた文字は「長」の字が多く見られました。「長」

の他にも「経」や「大」などの文字が書かれていました。また当時の貴重品であった

灰釉陶器という焼き物も多く出土しています。灰釉陶器を多く保有していることか

ら、この集落は社会的に力を持っていたのではないかと考えられ、その力の起源は鍛

冶工房にあったのではないかと思われます。


 土坑とピットは調査区全域で見つかりましたが、竪穴住居跡・鍛冶工房跡のない西

側寄りに多く見られました。なかでも獣を捕まえるために造られた陥し穴は、調査区

の西側から中央部西寄りにのみ分布しています。このことから、集落内で居住域と狩

猟域が重なることがないように場所を分けて土地を使っていたものと考えられます。
 
 
 
 上原3遺跡調査区全景
                    上原3遺跡調査区全景(真上上空東から)
 
 
 
 
 鍛冶工房跡(12号建物跡) 鍛冶工房跡(12号建物跡)
 
 
 
 
 鍛冶工房跡(12号建物跡)調査風景 鍛冶工房跡(12号建物跡)調査風景
 
 
 
 
 鍛冶工房跡(12号建物跡)遺物出土状況 鍛冶工房跡(12号建物跡)遺物出土状況
 
 
 
 
 鍛冶工房跡(12号建物跡)出土鍛造剥片 鍛冶工房跡(12号建物跡)出土鍛造剥片

 

 10号住居跡 10号住居跡

 

 

10号住居跡土層堆積状況 10号住居跡土層堆積状況

 

 

57号土坑(陥し穴) 57号土坑(陥し穴)

 

 

57号土坑(陥し穴)土層堆積状況 57号土坑(陥し穴)土層堆積状況

 

 

遺跡名:中棚1遺跡

所在地:群馬県吾妻郡長野原町大字林字中棚341-1外8筆

調査期間:平成231019日〜1222

調査原因:町営林土地改良事業

調査面積:1,6622

主な時代:縄文・平安

検出された遺構

  平安時代  
   竪穴住居跡:4軒
   土坑17
 
時期不明
     
ピット(小穴)57

 
調査概要

   中棚1遺跡は、林地区の土地改良事業地内では一番西側に位置しています。吾妻川

によって形成された河岸段丘の低位段丘面上に立地していて、すぐ北側には段丘崖が

間近に迫っています。調査区南側では関東ローム層が確認され、東西方向に延びる微

高地が確認されました。その微高地上に全ての遺構が分布していました。

竪穴住居跡は4軒見つかりました。4軒の住居跡は出土した遺物からいずれも平安

時代(1,100年前)に建てられていたものと考えらます。4軒横並びに分布しており


ほぼ全容が確認された東側の2軒は、一辺が6m以上もある特大型の竪穴住居跡でし

た。これらの竪穴住居跡は、同時期の平野部のものと比べて規模が桁違いに大きいと

いえます。そして4号竪穴住居跡からは「赤」と墨書された土器が多数出土しまし

た。1〜3号住居跡からは「赤」以外の文字・記号が墨書された土器が出土していま

すが中でも「三家(みやけ)」と墨書された土器も出土しており注目されます。調査区

外の南側には緩斜面が続いており、集落が南側に展開していくものと予想されます。


  土坑は17基が、ピットは57個が確認されました。土坑・ピットいずれも出土遺物が

ないものが多く、あるものも小破片でした。小破片の遺物が竪穴住居跡出土の遺物と

同時期のものであることから、土坑・ピットは竪穴住居跡と同じ平安時代のものが

 

いと考えられますが、微高地上からは縄文時代早期末〜前期初頭(約8,000年前)

 

の土器片も少量出土しているので、縄文時代のものも含まれると思われます。


 微高地の北側は、発掘調査前の水田の時から常にぬかるんだ状況の場所でした。掘

り下げを行ったところ、水田耕作土の下に水田を造る時の造成盛土、その下に木の

枝・小枝・葉を含む旧表土と考えられる腐葉土状の土がありました。さらに旧表土を

掘り下げ、地山を確認したところ、水流の浸食による深い地形は確認されず、西側に

向かって緩やかに傾斜する平坦面が確認されました。このことから、微高地の北側は

段丘崖からの湧水が溜まった沼のような場所であり、その後堆積物で埋まり湿地とな

っていたと考えられます。

 

 中棚1遺跡調査区全景
                  中棚1遺跡調査区全景(真上上空南から)

 

3号竪穴住居跡 3号住居跡

 

 

3号住居跡カマド遺物出土状況 3号住居跡カマド遺物出土状況

 

 

4号竪穴住居跡 4号住居跡

 

 

4号住居跡遺物出土状況 4号住居跡遺物出土状況(「赤」墨書土器)

 

 

 

遺跡名:上原1遺跡


所在地
:群馬県吾妻郡長野原町大字林字上原1037-1外7筆


調査期間
:平成24年5月22日〜10月5日


調査原因
:町営林土地改良事業

調査面積4,3122

主な時代:縄文・弥生・古墳・平安・近世

検出された遺構

縄文時代前期初頭  

  竪穴住居跡:9軒

縄文時代中期後半     

  竪穴住居跡:4軒

  土  坑:2基

  ピット(石器埋納):1基

弥生時代前期末

  土  坑:1基

古墳時代前期

  竪穴住居跡:1軒

古墳時代中期

  土  坑:1基

平安時代

  竪穴住居跡:12

  土坑(陥し穴):59

  焼土遺構:2基

近世・近代

 土  坑:4基

 焼土遺構:5基

時期不明

  竪穴住居跡:1軒

  土  坑:50

  焼土遺構:3基

  ピット:62

 調査概要

 上原1遺跡は、林土地改良事業地内では中くらいの標高の所に位置しています。す

ぐ北側には新しくできた県道がほぼ東西方向で走っています。西側約100mの所には

上原4遺跡があります。


 調査区の地形は、北東から南西の方向に向かって低くなっています。南西部は昔の

川の跡があり、傾斜がきつくなります。今回検出された遺構は、昔の川べりの緩やか

な傾斜にありました。古いものは縄文時代前期初頭(8,000年前)、新しいものは近

(300年前)のものです。


 近世の遺構は、土坑4基、焼土遺構5基が1ヵ所にまとまって見つかりました。


 平安時代(1,100年前)の遺構は、竪穴住居跡12軒、土坑(陥し穴)59基、焼土遺構

2基が見つかりました。遺構の分布をみると、竪穴住居跡は、調査区内の昔の川岸か

らやや離れた場所に偏りなくあり、陥し穴の多くは、川岸近くにありました。陥し穴

は長い辺の方向で何種類かのまとまりに分けられそうです。


 古墳時代の遺構は、前期(1,700年前)の竪穴住居跡1軒、中期(1,400年前)の土

坑1基が見つかりました。これらは発掘調査区の北西側に分布しています。


 弥生時代の遺構は、前期末(2,300年前)の土坑が1基見つかりました。変形工字

文(へんけいこうじもん)という特徴的な文様が施された壺が出土しています。


 縄文時代の遺構は、前期初頭(8,000年前)の竪穴住居跡が9軒、中期後半(

4,500
年前)の竪穴住居跡が4軒、土坑2基、ピット1基が見つかりました。前期初頭

の住居跡は調査区北東側の川岸から少し離れた場所に集中して分布しています。中期

後半の住居跡は調査区の西側・中央・東側に散らばって分布しています。また、石器

(
打製石斧)4点が埋納されたピットも見つかっています。

 

 上原1遺跡調査区全景
                上原1遺跡調査区全景<合成>(真上上空北から)

 

23号住居跡 23号住居跡(縄文前期初頭)

 

23号住居跡出土遺物 23号住居跡出土遺物(尖底深鉢)

 

 

 6号・12号住居跡 6号・12号住居跡(縄文中期後半)

 

 

6号住居跡出土遺物(深鉢) 6号住居跡出土遺物(深鉢)

 

 

6号住居跡出土遺物(浅鉢) 6号住居跡出土遺物(浅鉢)

 

 

ピット27 ピット27遺物出土状況(打製石斧)

 

 

61号土坑 61号土坑(弥生前期末)

 

 

 61号土坑出土遺物(短頸壺) 61号土坑出土遺物(短頸壺)

 

 

10号住居跡遺物出土状況 10号住居跡(古墳時代前期)

 

 

10号住居跡遺物出土状況 10号住居跡遺物出土状況(坩形土器)

 

 

2号土坑(古墳時代中期) 2号土坑(古墳時代中期)

 

 

13号・14号住居跡 13号・14号住居跡(平安時代)

 

 

遺跡名:上原4遺跡(1区〜4区)


所在地
:群馬県吾妻郡長野原町大字林字上原1102−1外7筆


調査期間
: 1区    平成24年4月17日〜4月20日 

           2区    平成24年4月18日〜4月20

     3・4区 平成24年9月21日〜1130


調査原因
:町営林土地改良事業


調査面積:3,1062

 

主な時代:縄文・古墳・平安

検出された遺構(3・4区)

  縄文時代中期初頭
      坑:1基 
  縄文時代後期前葉
    竪穴住居跡(敷石住居跡):1軒
    埋没谷(遺物包含層か) :1か所
  古墳時代後期
    竪穴住居跡:2軒
 平安時代
    竪穴住居跡:4軒
 時期不明
    焼土遺構:4基 
    
  土  坑:11
    ピット:9基
    旧河川:1条
    流路跡:8条

  調査概要

 調査区の北側から南東部にかけてでは、現表土の直下から、山から押されてきたと

考え
られる礫を多く含む砂質土が堆積していて、あまり遺構は確認されませんでし

た。何時の
時代のものかは分かりませんが、調査区東端に昔の河川跡、調査区全域に

わたって河川と
言うには規模の小さい水の流れた跡と土坑、ピットが確認されまし

た。

 調査区の南側から南西部では、現表土と山から押された土との間に黒褐色の土が堆

積し
ていました。そこから、縄文時代・古墳時代・平安時代の竪穴住居跡と、時代は

わかりま
せんが土坑・焼土遺構などが確認されました。平安時代の竪穴住居跡は、直

線上に並んでいることから何らかの規則性があったものと思われます。古墳時代の竪

穴住居跡は、長野原町では確認された例が少ないため、町の歴史を考えるうえで貴重

な史料となると思われます。

  

 上原4遺跡調査区全景
             上原4遺跡調査区全景<合成>(真上上空南から)

 

旧河川跡 旧河川跡

 

 

5号住居跡 5号住居跡(縄文後期前葉)

 

 

1号住居跡 1号住居跡(古墳時代後期)

 

 

1号住居跡遺物出土状況 1号住居跡遺物出土状況

 

 

7号住居跡 7号住居跡(古墳時代後期)

 

 

7号住居跡遺物出土状況 7号住居跡遺物出土状況(甑)

 

 

4号住居跡 4号住居跡(平安時代) 焼失住居

 

 

 

 

  

遺跡名:長野原城跡


所在地:長野原町大字長野原字嶋木255-1  

調査期間:平成2410月1日〜10月4日

調査原因:町道長野原線

調査面積:1052

主な時代:近世(江戸)

検出された遺構

   近世(江戸時代)
         天明泥流下畑跡1枚

調査概要

  調査区内には樹木の抜痕やコンクリート構造物による撹乱がありました

が、全面で天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生した泥流に埋没

した畑跡が検出されました。

  畝サクの遺存状態も良好で1枚の畑であること、サブトレによる軽石の

堆積状況から1番サク・2番サクの終了後に軽石の降下があったことが判

明しました。作物等の遺存体は見当たりませんでしたが、畝間や株痕の間

隔から推定することが可能と思われます。また、泥流中の石や樹木等でつ

いたと考えられるキズ跡が畑面で顕著に見られ、泥流が南から北に逆流し

たことが分かりました。


 
 
出土遺物に関しては、畑面直上で磁器片が出土しているほか、サブトレ

や撹乱に混入するかたちで内耳鍋片などが出土しました。

 

 

 

調査区全景 
                                 
調査区全景(南西から)

  

サブトレ サブトレンチ1軽石堆積状況

 

 

泥流によるキズ痕  泥流によるキズ痕

 

 

株痕検出状況 株痕検出状況

 

 

 

 

 

 

 

 

遺跡名:林中原1遺跡


所在地:群馬県吾妻郡長野原町大字林字中原835-130


調査期間   1区:平成25年4月1日〜6月3日

                          2区:平成25年6月5日〜7月19

      3区:平成25年5月30日〜6月7日、7月9日〜8月29

      4区:平成25年7月25日〜8月29


調査原因:町営林土地改良事業


調査面積   1区・2区 :3,091m2

      3区      571m2(1面目)/559m2(2面目) 

      4区      :3512

   合     計:4,013m2 (3区2面目含むと4,572m2


主な時代:縄文・平安・中近世


検出された遺構

縄文時代中期    土坑:7基

縄文時代中期〜後期 土坑:60基、ピット:70

平安時代      陥し穴:5基

中世〜近世     掘立柱建物跡:7棟、柱列:1基、土壙墓:1基、

   地下式坑 :1基、土坑:78基、ピット:594個、

   溝跡:12条、平坦面:1面、水場遺構:1基

   近代        焼土遺構:2基

  時期不明      土坑:2基、谷地形:1か所

 

 

遺跡の概要

 

本遺跡は、吾妻川左岸の上位段丘面の段丘崖際付近に位置し、南向き緩斜面に立地

しています。調査範囲は道路を隔てて3か所に分かれています。南に位置する1区・

2区は段丘崖際に、北に位置する3区は段丘崖から北へ約120m、その間にある4区

は段丘崖際から北へ約70m〜110mの所にあり、それぞれが平成1921年度に群馬県

埋蔵文化財調査事業団(以下県事業団とする)が発掘調査を行なった地点と隣接して

います。


●1区・2区(長野原町大字林字中原835-1外)


  調査区の西側には谷地形が確認されました。谷の西側には北側の県事業団の調査区

から続く平坦面があります。平坦面の南側・西側は崖となっており、南側へ張り出す

形となっています。平坦面の南西部は裾部に岩を並べ、その上に盛土した痕跡が確認

されました。このことから、平坦面を大きくするために造成されたもので、県事業団

の発掘調査で確認された林城跡に関連する曲輪の1つと考えられます。平坦面上は土

坑・ピットが確認されたものの、建物跡は確認されませんでしたが、位置的に南側の

崖下を見張る場所であったと考えられます。


  谷の東側には、南北方向に走る溝状遺構が1条確認されました。底面は幅が広く平

坦になっており、ほぼ同じ位置に現代の道があることから、現代まで踏襲されてきた

道跡である可能性が高いと考えられます。

  

  道跡と考えられる溝状遺構の東側は、調査区東端部まで非常に緩やかに南へ傾斜す

る緩斜面が続いています。東側(2区)は現況で植木が植樹されていたため、植栽痕

によって広い範囲が撹乱を受けていました。また、北東隅部は土取りによると考えら

れる撹乱を受けていました。この平坦部からは多数のピット・土坑が確認され、発掘

調査の段階で掘立柱建物跡が7棟、柱列が1基検出され、整理作業の段階でピットを

検討すれば建物跡の数はさらに増える可能性があります。土坑は、形態及び分布状況

から縄文時代の貯蔵穴である可能性のあるものが6基、形態から平安時代の陥穴と考

えられるものが5基検出されました。その他の土坑は中世から近世にかけてのものと

考えられ、その内土壙墓(人骨出土)が1基、地下式坑と考えられるものが1基検出

されました。

 
 
2区のほぼ中央南壁際からは水場遺構と考えられるものが検出されました。東側・

北側は階段状に掘り込まれ、西側は自然の礫群を利用し一部並べ替えるなどして平ら

にそろえた形跡が確認されました。南側の大半が調査区外にあるため全容・詳細は不

明ですが、人の手が加わっていることや掘り下げた所から水が出てきたことから、水

場遺構と判断しました。


 
前述の谷東側のものを含め、溝跡は5条検出されました。西端部の平坦面で検出さ

れたものは、盛土を切って造られており、雨水などを崖下に排水するものと考えられ

ます。

 
 
本調査区は、谷の西側は県事業団の発掘調査で確認された林城の城域内部、谷の東

側は林城の城域であったと考えられます。谷の東側は、調査区外に遺構が広がってい

ることから、東側・南側の崖際まで城域の範囲は広がるものと考えられます。


●3区(長野原町大字林字中原880外)


 本調査区の遺構確認面は、中世から近世にかけての遺構が確認される面と縄文時代

中期以降の遺構が確認される面の2面が存在し、それぞれ発掘調査を実施しました。


 
中世から近世の遺構面は、調査区の東端部で溝跡1条、中央部では溝跡4条が切り

合った状態で検出されました。中央部の4条は、南側の県事業団調査区の溝跡に続く

ものでした。


 
土坑・ピットは多数確認されていますが、発掘調査の時点で掘立柱建物跡となりう

るものは確認できませんでした。中央部の4条の溝跡よりも西側は遺構の密度が濃く

東側へ行くほど密度が薄くなりました。


 本調査区は、建物跡は確認できませんでしたが、多数の土坑・ピットが確認された

ことから林城の城域であったと考えられます。溝跡を境に土坑・ピットの分布状況が

異なることからこれらの溝跡は林城城域内を分ける区画溝であったと考えられます。


 縄文時代中期以降の確認面は、土坑・ピットが多数検出されました。1基の土坑か

ら縄文時代中期の土器が出土しましたが、その他の遺構からは遺物の出土はありませ

んでした。確認面まで下げる際に掘った暗褐色土からは縄文時代後期の土器片が出土

していたことから、検出された遺構は縄文時代中期から後期にかけてのものと考えら

れます。


●4区(長野原町大字林字中原845-3外)


 本調査区は、横が長い⊥字の形をしています。東西調査区は北側に個人住宅への進

入道路があり、道路の付け替えが困難なことから、道路の南側部分のみ調査を行ない

ました。調査区の形状は南側が短くなっているため、住宅よりも西側は道路部分を行

い、西端まで調査を行ないました。遺構密度は非常に薄く、東側に土坑・ピットが少

量と溝跡1条が検出されたのみでした。


 南北調査区は、南側に水道管が埋設されていることが確認されたため、水道管を壊

さないよう南端部の掘削は行いませんでした。東西調査区よりも遺構密度は若干濃

く、1条確認された溝跡は、位置・走行方向から北側の町道部分で県事業団が調査を

行なった時に確認された溝跡と同一と思われます。土坑は、陥し穴と考えられる非常

に細長くて深い土坑が検出されました。

 

  

 
                     林中原1遺跡1区全景(上空真上南から)

 


                      
林中原1遺跡2区全景(上空真上南から)

 

             林中原1遺跡3区全景(上空真上南から)

 

 

  

 林中原1遺跡4区南北調査区全景(南

                                                                                               から)

 

 

 

 

 2区平安時代陥し穴(南から)

 

 

 

 

 

 2区中世土壙墓(南から)

 

 

 

 

 

 1区掘立柱建物跡(南から)

 

 

 

 

 

 2区掘立柱建物跡(南から)

 

 

 

 

 

 2区水場遺構(北から)

 

 

 

 

 

 3区1〜4号溝跡(南から)

 

 

 

 

  

 3区5号溝跡(南から)

 

 

 

 

 

 4区1号溝跡(東から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺跡名:林中原2遺跡


所在地:群馬県吾妻郡長野原町大字林字中原971外6筆


調査期間:1区    平成25年4月8日〜4月25

     2区    平成25年4月30日〜5月23

     3区・4区 平成25年6月4日〜7月4日

     5区    平成25年7月11日〜7月23


調査原因:町営林土地改良事業

調査面積:1区・2区    :772m2

     3区・4区・5区 :1,299m2

     合      計 :2,071m2


検出された遺構

  縄文時代中期   竪穴住居跡:1軒

  中世〜近世     掘立柱建物跡:1棟、礎石建物跡:1棟、土坑:25基、

    ピット:54個、溝跡(自然流路):2条

  近世以降       土坑:14基、柱列:1基、ピット:28

  時期不明    埋 没 谷:2か所


遺跡の概要


 本遺跡は吾妻川左岸の上位段丘面上に位置し、南向き緩斜面に立地しています。調

査範囲は、町道を挟んで南北2か所に分かれています。町道の南側(1区・2区)は

段丘崖から北へ約80m〜140mの所にあり、東西両側は県事業団が平成20年・21年に

発掘調査を実施しています。町道の北側(3区・4区・5区)は段丘崖から北に約

160
m〜220mの所にあり、南西部を町教育委員会が平成19年に発掘調査を実施してい

ます。

 

●1区・2区(長野原町大字林字中原979-1外)


 周辺の地形は南向きの緩斜面ですが、本調査区内は畑・水田を造成するため4段に

段切りされていました。段切り後の畑・水田造成時に盛られた土からは陶磁器のほ

か、ビニール類が出土したことから、近代の土地改変と判断しました。上から4段目

の段切り壁面には石垣のような石積みが残存していました。表土掘削時に積石を除去

した所、下から礫群が確認されました。この礫群は石積みの際の基礎のようなもので

あったと考えられます。


 発掘調査時の排土置き場を確保するため、下2段と上2段の2回に分けて発掘調査

を行ないました。そのため、下2段を1区、上2段を2区としました。上3段はロー

ム層で、最下段は黒褐色土で遺構が確認されましたが、どの段も削平を受けていたた

め遺構の残存状況は良くありませんでした。


 調査区西端部及び南部では埋没谷の東側肩部が確認されました。埋没谷は南北方向

に走り、調査区南西部で南東方向へ屈曲しています。東端部には埋没谷と考えられる

落ち込み、その西側に南北方向に走る自然流路が確認され、この2つの遺構の南側は

上から4段目の段切りによって壊されています。遺構の確認された場所は、谷が埋ま

る前は南に張り出した舌状の台地であったと考えられます。


 1段目の調査区北東隅部からは、縄文時代中期後半の竪穴住居跡が検出されまし

た。この遺構は上部が削平を受けているため竪穴の壁面は残存しておらず、床面・炉

跡・柱穴・壁周溝のみが確認されました。また、縄文時代の住居跡を切って中世から

近世の掘立柱建物跡が1棟検出されました。北側の調査区外に続いているため、詳細

は不明です。


 2段目と4段目では、中世から近世にかけての掘立柱建物跡1棟、礎石建物跡1棟

のほか、多数の土坑・ピットが検出されました。1段目と3段目は遺構密度が薄く、

中世から近世にかけての土坑・ピットのほか、南北に走る自然流路1条が検出されま

した。検出された土坑のうち2基からは寛永通宝が出土していることから、墓壙であ

った可能性があります。


●3区・4区・5区(長野原町大字林字中原965-1外)


 調査区のほぼ中央に北西−南東方向に走る水路があり、この水路を壊さないように

発掘調査を実施し
ました。排土置き場を確保するため、北半分と南半分の2回に分け

て調査を行ない、北半分の水路西側を3区、水路東側を4区、南半分を5区としまし

た。
調査区のほぼ中央、水路と重なる場所で埋没谷が確認されました。北西−南東方

向に走り、1区・2区の西端で確認された埋没谷とつながります。


 埋没谷の東西両側から土坑・ピットが確認されましたが、遺構密度は薄かったで

す。遺物が少ないため時期の確定は難しいですが、概ね近世以降で近代のものも含ま

れると思われます。

 

 

 

 林中原2遺跡1区全景(南から)

 

 

  

 

 林中原2遺跡2区全景(南から)

 

 

 

 

 

 林中原2遺跡3区全景(南から)

 

 

 

 

 

 林中原2遺跡4区全景(東から)

 

 

 

 

 

 林中原2遺跡5区全景(南西から)

 

 

 

 

 

 2区縄文中期住居跡(南西から)

 

 

 

 

 

 2区近世礎石建物跡(東から)

 

 

 

 

 

 2区中近世掘立柱建物跡(西から)

 

 

 

 

 

 1区近世土壙墓か(南から)

 

 

 

 

 

 作業風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺跡名:嶋木1遺跡


所在地:長野原町大字長野原字嶋木
264-1ほか7筆  


調査期間:平成25年4月8日〜5月7日


調査原因:町道長野原線(工事用道路)


調査面積:11302


主な時代:近世(江戸)


検出された遺構


 近世(江戸時代)

    天明泥流下畑跡2段()で、単位畑は下段(1・2区)3枚、上段(3区)

    礎石建物跡1棟 

 近代(昭和1819年)太子線橋台石積み


調査概要


 調査区内には樹木の抜根よる撹乱の他、太子線に伴う可能性のある撹乱がありまし

たが、全面で天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生した泥流に埋没した畑跡

が検出されました。天明泥流下畑跡は2段()で確認され、そのうち単位畑は下段

(
1・2区)3枚、上段(3区)7枚、合計10枚が検出されました。


 
畝サクの遺存状態も良好でサブトレによる軽石の堆積状況から1番サク・2番サク

の終了後に軽石の降下があったことが判明しました。作物等の遺存体は見当たりませ

んでしたが、畝間や株痕の間隔から推定することが可能と思われます。また、泥流中

の石や樹木等でついたと考えられるキズ跡が畑面で顕著に見られ、泥流が南から北に

逆流したことが分かりました。


 また3区においては調査区最上位で礎石建物跡(小屋か)も確認されました。前面に

石垣をもち、建物内部の床面を一層除去すると、畑面と同じ黒土を削りだした部分と

石垣裏込めおよび床面の水平を作り出す礫混土との境界も確認されました。因みに建

物内部床面には一面軽石層が確認されているので簡素な屋根構造であったと思われま

す。


 
出土遺物に関しては、畑面直上で陶磁器片が出土しているほか、礎石建物跡内外で

炭化材が顕著に出土しました。

 

 

 

 

 

 

   調査区遠景(南から)

 

 

 

 

 

  調査区遠景(東から)

 

 

 

 

 

  1区全景(南西から)

 

 

 

 

 

  1区1-2号畑サブトレ(北から)

 

 

 

 

 

  2区全景(東から)

 

 

 

 

 

  2区全景(北から)

 

 

 

 

 

  石積み遺物出土状況(ナット)

 

 

 

 

 

  石積み遺物出土状況(カスガイ)

 

 

 

 

 

  3区全景(南西から

 

 

 

 

 

  3区2-2号畑平坦面検出状況

 

 

 

 

 

  3区2-2号畑平坦面軽石除去状況

 

 

 

 

 

  3区1号建物跡検出状況

 

 

 

 

 

  3区1号建物跡軽石除去状況

 

 

 

 

 

  3区遺物出土状況(肥前染付蓋)

 

 

 

 

 

  3区遺物出土状況(肥前染付碗)

 

 

 

 

  3区遺物出土状況(肥前染付皿)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺跡名:東貝瀬3遺跡


所在地:長野原町大字長野原字東貝瀬900外9筆  


調査期間:平成25年5月9日〜5月23


調査原因:町道長野原線(橋台・工事用道路)


調査面積:2502


主な時代:近世(江戸)


検出された遺構

  近世(江戸時代)

     天明泥流下畑跡1段()で単位畑は3枚


調査概要


 
調査区内には全面で天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生した泥流に埋没

した畑跡が検出されました。天明泥流下畑跡は1段()で確認され、そのうち単位畑

は3枚が検出されました。


 
畝サクの遺存状態も良好でサブトレによる軽石の堆積状況から1番サク・2番サク

の終了後に軽石の降下があったことが判明しました。また調査区北側の急斜面地では

特に泥流の下に砂の堆積が目立ち、逆流の際に生じた逆級化現象(リバース・グレイ

ティング)と考えられました。作物等の遺存体は調査区南側・北側両方で認められ、

特に遺存度の良好な調査区北側で2m×2mで遺存体を5点取り上げると共にサクに

堆積した泥流・砂を分けてサンプリングしました。また調査区南側でも2m×2mで

株痕の検出作業を実施しましたが、株痕の間隔が狭いことから上に細く延びる作物

(
キビ・アワ・ヒエ・陸稲)と推定されます。また、泥流中の石や樹木等でついたと考

えられるキズ跡が畑面で顕著に見られ、泥流が南から北に逆流したことが分かりまし

た。


 出土遺物に関しては、畑面直上で表土で陶磁器片・須恵器片・弥生土器片が少量出

土しているほか、畑面直上で炭化材が出土しました。

 

 

 

 

 

 

 

 南側調査区全景(南西から)

 

 

 

 

 

 南側調査区全景(北東から)

 

 

 

 

 

 サブトレ1(北東から)

 

 

 

 

 1-1号平坦面(北西から)

 

 

 

 

 

 1-1号畑株痕検出状況(北西から)

 

 

 

 

 

 北側調査区全景(南西から)

 

 

 

 

 

 1-2号畑部分(北西から)

 

 

 

 

 

 1-3号畑部分(南西から)

 

 

 

 

 

 1-3号平坦面(南西から)

 

 

 

 

 

 1-3号畑株痕・作物遺存体検出状況

 

 

 

 

 

 

 作物遺存体

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺跡名:尾坂遺跡


所在地:長野原町大字長野原字
尾坂1263-2,字橋場乙1307  


調査期間:平成25年6月21日〜6月25


調査原因:町道林長野原線(JR長野原草津口駅駅前広場)


調査面積:602


主な時代:近現代(昭和18年〜昭和30年頃)


検出された遺構と遺物

・検出遺構 近現代(昭和18年〜昭和46) 建物跡1棟、排水桝1基、排水溝1条、                    

                    石垣1列

・出土遺物 瓦(粘土・セメント)、磁器、建築部材、鉄製品など

調査概要

  駅前広場シェルター埋設予定地内に設定した3本のトレンチのうち、工事に影響が
ある3トレを記録保存(発掘調査)しました。その結果、上記の遺構・遺物が検出されました。

 建物跡は床にセメントコンクリートが打ってあり、側に木製土台(大引)を回していました。大引には枘穴(ほぞあな)が2ヵ所認められ、柱()も数カ所認められました。排水桝は建物北側に建物と同軸で埋設されており、セメントコンクリート製でした。内側には建物内部(南側)からと建物正面(西側)に向けて流れる穴が設置されていました。排水溝及び石垣は一体となっており、建物跡と軸を違えるため、後の改装で設置したも のと考えられます。排水溝は東側から西側の正面に向かって若干の勾配がついておりそこから90度南に曲がっていました。以前の試掘でもその続きを検出しており、そこでも木蓋がされた排水桝が検出されていることからこの排水桝に繋がると考えられます。

 石垣は排水溝に沿って検出され、山からの用水路の流末のようにセメントに玉石を貼った部分が認められました。玉石の東側の石垣は3段積まれており、玉石・排水溝と構築時期が異なる可能性があります。

建物跡は、その付近にあったとされる太子線長野原駅(貨物駅舎)の可能性が高いと考えられます。貨物線専用の駅舎のため簡素な造りだったと伝えられています。太子線は長野原駅と太子駅を結ぶ路線で、太平洋戦争末期の軍需用資源不足を補うため、当時の日本鋼管株式会社により群馬鉄山からの鉄鉱石を運搬する専用線として敷設されました。戦時中の1943(昭和18)年から約2年間という短期間で実施され、1944(昭和19)1225日完成、翌1945(昭和20)年1月2日に長野原線とともに全線開通(初出荷)しました。その後、1952(昭和27)年に国有化された太子線は国鉄長野原線の一部(太子支線)となり、1954(昭和29)年の旅客営業開始後は地元住民の足となりました。時期は定かではありませんが、旅客営業開始前後に貨物駅舎が撤去され、硫黄・石炭ガラで埋められたと考えられます。 

 

 

 

 長野原草津口駅新駅舎(南東から)

 

 

 

 

 

 調査区近景(北西から)

 

 

 

 

 

 調査区近景(南東から)

 

 

 

 

 1号建物跡(北から)

 

 

 

 

 

 1号建物跡大引枘穴(南から)

 

 

 

 

 

 1号建物跡柱穴(東から)

 

 

 

 

 

 1号建物跡排水桝(北から)

 

 

 

 

 

 排水溝セメント瓦出土状況(南から)

 

 

 

 

 

 石垣1<排水施設か>(南から)

 

 

 

 

 

 石垣2(南から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺 跡 名:町遺跡


所 在 地:長野原町大字長野原字町148-211

     

調査期間:平成2510月7日〜1112


調査原因:町道長野原向原線(橋台・本線)


調査面積:1,147.70m2


主な時代:近世(江戸時代)


検出された遺構
 

  近世(天明期)

     屋敷跡(礎石建物跡):1棟 

     道 跡:1条

     溝  跡:6条

     畑  跡:1枚

     炉  跡:1基


調査概要


 本遺跡は長野原市街地に所在し、天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生し

た泥流に埋没したことが絵図等の文書で残されている地域です。町道長野原向原線橋

台・本線予定地内を南側・北側調査区に分けて南側→北側の順で調査しました。


 南側調査区は比較的浅く泥流が締まっているため調査区壁を垂直に近く掘削できま

したが、北側調査区は深さが2m〜2.5mあり、かつ建物を何度も建て替えて造って

いるため泥流は締まりがなく、調査区壁は5分勾配で掘削しました。にもかかわらず

台風やちょっとした雨で壁が崩落して当初より調査区が狭くなってしまいました。


遺構に関しては、屋敷跡の囲炉裏をもつ座敷の一部を検出したに過ぎませんが、多量

の建築部材とともに各種生活用具が出土しています。屋敷裏には縁側と思われるテラ

スがあり、2〜3段の階段、その下には側溝に挟まれた道がありました。道は畑に通

じており、畑も幅がわかりませんが平坦面を一つ有することから1枚と考えていま

す。畑の先の吾妻川側には砂岩を用いて組んだ炉跡が検出されています。掘り方に壁

(ローム)を充填した丁寧な造りでした。


 遺物に関しては発掘調査時が掲載写真の通りですが、現在整理中でまだまだ新たな

発見
があると思われます。陶磁器はほぼ完形品が2点のほか復元実測可能なものもあ

りました。
木製品では櫛や団扇、漆器椀、桶の他に桜の皮で止めた曲げものや「正

月」と墨書された木製品の部材、お膳や重箱と考えられる漆塗りの使用していたと部

材の存在が確認されました。金属製品は銅銭「寛永通宝」が数枚出土しているほか、

「茶釜」や囲炉裏に使用していた「自在鉤」、「火打ち金」が確認されています。石

製品では「砥石」のほか「火打ち石」が数点確認されています。


 堆積基本土層は1・2.表土・整地土・砕石(現地表から47cm72cm)、3〜5.

明泥流(106cm)、6.軽石(34cm)、7.旧表土でした。屋敷内には軽石が存在し

ませんが遺物を包含する層とそれを覆う層が新たに泥流下で確認されています。江戸

時代の天明面は確認されましたがそれ以前の遺構の存在は南側調査区でトレンチを設

定して確認しましたが、遺構・遺物は検出されませんでした。また試掘調査時にも認

められましたが泥流が3層に大きく分類することができることから少なくとも3回以

上に分けて泥流が到達したことがいえるかもしれません。長野原区の絵地図は県立文

書館に寄託していて本町では所持していないため対象地にどのくらいの規模の建物が

あって畑があったかは不明ですが、屋敷とその裏庭の畑・炉跡という景観が明らかに

なりましたし、遺物中で発見された虫や堅果類の皮など屋敷内の土壌サンプルを採っ

てありますので当時の環境復原ができるかもしれません。


今後、工事の合間になるため時期は未定ですが、国道側の隅切りで屋敷東側の調査

を実
施する予定です。   

 

 

 

 

 

 

 

 

                       町遺跡南側調査区全景(北から)

 

 

 

 

 

 

 

 

                        町遺跡北側調査区全景(北から)

 

 

 

 

 

 1号建物跡完掘状況(南から)

 

 

 

 

 

 1号建物跡検出状況<1面目>(西から)

 

 

 

 

 

 1号建物跡囲炉裏検出状況(南から)

 

 

 

 

 

 1号建物遺物出土状況(肥前染付碗)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(瀬戸美濃碗)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(団扇)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(櫛)

 

 

 

 

 

 1号建物遺物出土状況(櫛)

 

 

 

 

 

 1号建物遺物出土状況(漆器蓋)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(曲物)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(桶)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(蓑か)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(砥石)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(銅銭)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(甲殻虫)

 

 

 

 

 

 1号建物跡遺物出土状況(栗の皮)

 

 

 

 

 

 1号建物跡調査風景

 

 

 

 

 

 1号建物跡テラス<縁側>・階段(西から)

 

 

 

 

 

 道跡・溝跡(西から)

 

 

 

 

 

 北側調査区畑跡(西から)

 

 

 

 

 

 1号炉跡(南西から)

 

 

 

 

 

 基本土層(北側調査区北壁)

 

 

 

 

 

 

 

遺 跡 名:嶋木1遺跡(4次)

所 在 地:長野原町大字長野原字嶋木258-1,259-7

調査期間:平成26年6月11日〜6月21日

調査原因:町道長野原線(本線南側)

調査面積:1932

主な時代:近世(江戸時代)

検出された遺構

 近世(江戸時代(天明期))

    畑   跡:1段(面)で、単位畑は3枚

平 坦 面:2箇所

調査概要

  調査区内には全面で天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生した泥流に埋没した 

畑跡が検出されました。天明泥流下畑跡は1段(面)で確認され、そのうち単位畑は3枚が検

出されました。

畝サクの遺存状態も良好でサブトレによる軽石の堆積状況から2種類の作業工程の畑で

あることが判明しました。一つは1番サク・2番サクの終了後に軽石の降下があったもの(3-4・

5号畑)。もうひとつは1番サク終了後に軽石の降下があり、合間に2番サクを実施したもの

(3-7号畑)。

  作物等の遺存体は若干認められる程度で、泥流にプリントされた茎や葉はサンプリングし

ました。それぞれの畑で1.5m×1.5mで株痕の検出作業を実施しましたが、 3-7号畑は株痕が

検出されなかったことから作物自体が植えられていなかった可能性があります。その他は株

痕の間隔が狭いことから上に細く延びる作物(キビ・アワ・ヒエ・陸稲)と推定されます。だだ

し、平成25年度調査地点との畑の畝間が大きく異なることからそれが作物の違いに起因する

のか検討が必要です。

 

                                                                                           1・2区全景(南から)
 
 
 

                                                                                                  3区全景(南から)

 
 

 3-7号畑(南東から)

 

 

   3-7号平坦面(東から)

 

 

 3-7号畑畝サク断面(南から)

 

 

 3-7号畑株痕精査状況(東から)

 

 

 3-6号畑南側(東から)

 

 

 3-6号畑北側(東から)

 

 

 3-6号畑畝サク断面(南から)

 

 

 3-6号畑株痕精査状況(東から)

 

 

 3-5号畑北側(東から)

 

 

 3-5号畑南側(東から)

 

 

 3-5号平坦面(東から)

 

 

 作業風景(南から)

 

 

 

 

 

 

 

 

遺 跡 名:嶋木1遺跡(5次)

所 在 地:長野原町大字長野原字嶋木280-6,282-2,283-4,284-4,285-12,285-14     

調査期間:平成26年6月24日〜8月7日

調査原因:町道長野原線(本線北側)

調査面積:9872

主な時代:近世(江戸時代)

検出された遺構

 近世(江戸時代(天明期))

    畑  跡:1段(面)で単位畑は11枚

    平 坦 面:11箇所(うち4箇所は旧)

    ヤックラ:3基

    溝    跡:4条

    復 旧 溝:6条

調査概要

  調査区内には全面で天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生した泥流に埋没した 

 畑跡が検出されました。調査地点は白砂川右岸に位置し、泥流の逆流により埋没したこと

 が分かっています。天明泥流下畑跡は1段(面)で確認され、そのうち単位畑は11枚が検出

 されました。いずれも山際の最上位の畑であり、標高610m前後で泥流の天端を4箇所で確

 認することができました。

   畝サクの遺存状態も良好でサブトレによる軽石の堆積状況から以下の3種類の作業工程

の畑であることが判明しました。まず一つ目は1番サク・2番サクの終了後に軽石の降下があ

ったもの(3-8〜3-14号畑)。二つ目は1番サク2番サクの区別は不明瞭だが7月27〜29日の軽

石降下から泥流が到達する8月5日までの間に培土を行ったもの(3-17・18号畑)。最後に三つ

目は作物を諦めたのか二つ目と同じ期間に鋤き込みを実施したもの(3-15・16号畑)。また泥

流到達後に畑を復旧しようとした痕跡も認められました。作物等の遺存体は若干認められる

程度で、泥流にプリントされた茎や葉はサンプリングしました。4箇所の畑で約1.5m×1.5mの

範囲で株痕の検出作業を実施しました。作物は株痕の間隔が狭いことから上に細く延びる作

物(キビ・アワ・ヒエ・陸稲)と推定されます。

  出土遺物に関しては、畑面直上で陶磁器片が少量出土しました。

 

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                               南側調査区全景(南から)

 

                                                                                         南側調査区全景(北から)

 

                                                                                                 北側調査区全景(南から)

 

                                                                                               北側調査区全景(北から)

 

 

 3-8・9号畑・ヤックラ1・2号溝(北東から)

 

 

   3-9●10畑・2号溝(南東から)

 

 

 2号溝上泥流天端(南東から)

 

 

 3-10・12号畑泥流天端(南東から)

 

 

 3-11●12号畑と泥流キズ痕(南東から)

 

 

  3-11号畑畝サク断面(南西から)

 

 

 3-13●14号畑、泥流キズ痕(南東から)

 

 

 3-15・16号畑、復旧溝(南東から)

 

 

  ヤックラ3、3-17・18号畑、復旧溝(南か ら)

 

 

 3-18号畑畝サク断面(南西から)

 

 

 3-18号畑株痕検出状況(南東から)

 

 

 作業風景(東から)

 

 

遺 跡 名:町遺跡(2次)

所 在 地:長野原町大字長野原字町106-1

調査期間:平成26年7月9日〜7月11日

調査原因:教会教職舎

調査面積:272

主な時代:近世(江戸時代)

検出された遺構

  近世(江戸時代(天明期))

     畑 跡:1枚

 調査概要

  本遺跡は長野原市街地に所在し、天明3(1783)年の浅間火山の大爆発に伴い発生した泥

流に埋没したことが絵図等の文書で残されている地域です。教会教職舎建設予定地のうち

畑の遺存箇所の調査を実施しました。

 天明泥流下畑跡は1段(面)で確認され、そのうち単位畑1枚が検出されました。畝サク

の遺存状態も良好でサブトレによる軽石の堆積状況から、1番サク・2番サクの終了後に

軽石の降下があったことが判明しました。作物等の遺存体は若干認められる程度で、泥流

にプリントされた茎や葉をサンプリングしました。

  出土遺物に関しては、畑面直上で陶磁器片が少量出土しました。

  畝サクの走行方向から対象地は北東から南西への緩斜面地であったことが分かりました。

 対象地北側半分は以前の建物建設時に削平されており、泥流のプライマリーな堆積状況は

分かりませんが、対象地までは到達していたことが今回の調査によって明らかとなりました。

 

                          

                          調査区全景(南から)

               

                           調査区全景(東から)

 泥流堆積状況(西から)

 

 

 畝サク断面(西から)

 

 

 畑面泥流キズ痕(南から)

 

 


−お問い合わせ−
長野原町役場 教育課 文化財係
電話0279-82-4517
FAX0279-82-4519


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